30年以上前、すでにこの日本で遊びやファッションではなく、まじめに幻覚キノコにとりくみ、体験・実験をしていた人物がいた!今年初め86才で亡くなった菌類学者・小林義雄である。そして、そのパートナーこそ、幻覚キノコを世界に紹介した張本人R.ゴードン・ワッソンだ。彼等の幻覚キノコ探究の行脚は帝国ホテルの一室から信州、はてはメキシコ高山へと続く。



■小林義雄プロファイル
1907年生まれ。東大理学部植物科卒。東京文理大(現・東京教育大)講師、国立科学博物館植物学部長を歴任。冬虫夏草の世界的研究者。また、南方熊楠の研究の第一人者でもある。著書多数。1977年叙勲(勲三等瑞宝章)。キノコ研究の調査旅行は1931年のアラスカに始まり、世界数十カ国に及ぶ。1993年没。

小林義雄晩年の小林先生

文・小林義雄 「きのこ五題ばなし」/明治屋PR誌『"嗜好"・別冊きのこブック』
(昭和56年10月15日発行)より転載。

ベニテングタケ

きのこのうちで一番愛好され、その反面で恐ろしいものと誤解されているのが、このペニテングタケである。柄につばとつぼを具え、傘の下面は純白、上面は真赤で白っぽい疣粒を点在するのがその姿であり、この粒は落ち易い。世界中の温帯寒帯に広く分布し、我国ではシラカバ林に多い。これはいろいろな絵画、工芸品、童話、物語りに紹介され、シェークスピアの夏の夜の夢にも点景として現れている。ドイツ其他の街頭で宝くじ売りの店にそのしるしとして掲げられている。当たるという洒落かと思ったが、日本語の通じない国では当っていないようである。

 このきのこは伝えられているほど猛毒ではない。また上記のように一見してそれと判るから、誤食のおそれはほとんど無い。しかし摂取すると消化管が侵され、嘔吐、下痢が起り、次に興奮し、昏睡状態となり、この頃になると幻覚症状が現れる。酔わせる力があるから、昔からシベリヤの住民が、これをウオッカに入れて利用していた。また蝿を殺す(実際は殺さない)ということから我国ではハエトリタケ、ソ聯ではムホモール、学名の種小名はムスカリアという。しかし分析の結果、蝿を誘引する物質とこれを酔わす物質があることが判った。このきのこに接した蝿はその付近に倒れ死んだようになるが、暫くたつと蘇生して舞い上がる。

 このきのこの成分の研究は沢山あり、赤い色素はムスカルーフィン、毒分としてムスカリン、ムスカリジン、ブフォテニンがある。またイボテン酸という成分が知られ、これの分解によって出来たムスシモルが人を酔わせることが判った。

 話かわってアメリカのワッソン(註1)という人がSomaという部厚の大著を数年前に出版した。ソマというのは数千年昔に中央アジアに居住していたアーリアン族がアフガンを経て印度へ移住したころ、彼等が信仰の対象としていた名であって、神の食物という意味がある。赤々と丸くかがやくソマは太陽を思わせるが、ワッソン氏はこれをベニテングタケであると考えた。これに関する資料をまとめたのがソマという書物である。本書には私が写したベニテングタケのカラー写真が数枚挿入されている。神の食物と云えばメキシコの古い時代の絵画にもベニテングタケらしいものを神に捧げている図柄が数枚発見されている。

 以上のような次第でワッソン氏は問題のベニテングタケを自ら人体実験したいと思いつき、我々に協力を求めて来た。10年以上昔のことである。そこで我々も快くこれに応じ、確実にこれが発生する信州で実施することになった。ここでは土地の住民が秋になると、このきのこを大量に採って干して置き冬になると利用したと聞く。

 初秋の或日、今関(註2)、曾根田、小林の3名はワッソン氏を案内して信州へ赴いた。その経過を写真によってたどって見る。シラカバ林でベニテングタケを採集し、宿舎の前で人体実験が開始された。まず曾根田氏がこのきのこを食べ易いようにとジュースをつくる、ワッソン氏は慎重な顔で中型2本分位のジュースを呑む。しかし間もなく顔面紅潮し吐瀉して仕舞った。真に残念そうな面持ちであった。これを見るに見兼ねて、今関、小林の両人は続けてジュースを呑んだ。今関氏はそのうちに地上に横たわり、うつらうつらの境に入る。小生は神経鈍なせいか多少の不快感を味わったのみであった。以上で実験は不成功に終わった。ワッソンは大変残念がった儘帰国した。翌年の同じ頃、再度実験すべく来日した。今度はジュースをストレートに呑むのではなくミルクを入れて呑んで見ようというのであった。しかしこの試みも不成功に終わった。救いは今関氏が多少幻覚の入口まで達したということである。またこれ以上量を増すことは人命に関わるので中止せざるを得なかった。ベニテングタケと同属のきのこの2〜3種では食べれば必ず死ぬというものもある。読者諸氏の中には、こんなつまらぬ試みをするために2度もアメリカから出かけて来るのかと思う方々も居られようが、我々にとっては菌類史上はじめての試みであったのである。

R.ゴードン・ワッソンテングタケ・ジュースを飲むワッソン
(信州にて)

註1)R.ゴードン・ワッソン(R.Gordon Wasson)
1898年生まれ。ハーバード大卒。彼は専門の菌学者ではなく、なんと元J.P.モーガン銀行の副頭取(1963年定年退職)。妻と共に行った副業“菌類民族学”における研究が有名。幻覚キノコを世界にはじめて紹介した人物である。1957年に『ライフ』に幻覚キノコの記事を発表、これがサイケデリック文化の始まりといってもさしつかえない。1986年没。著書『聖なるキノコ ソーマ』(せりか書房)

註2)今関六也(いまぜき ろくや)
1904年生まれ。東大農学部卒。国立科学博物館、農林省に勤務を経て、日本植物病理学会長を務める。その後、二度、日本菌学会会長を歴任。著書多数。1991年没。 一般向のきのこ関係の書物に彼の名を見ないことはない、つまり、日本の菌学においての超MVPといっておこう。

メキシコの幻覚きのこ(抄)

戦後間もないころ、前記のワッソン氏は母校のハーバード大学の書庫で古文書をしらべているうちに、不思議な記録を見出した。その一つはきのこ石(ここでは触れない)、一つはきのこ神事である、モルガン銀行の副総裁であった彼がきのこ民族学に関心を抱くとはまことに妙なことであるが、実は彼の奥さんがロシヤ出身であり、ロシヤ人は無類のきのこ好きの国民である点から、氏は奥さんの感化を受けたものと思われる。そこで氏はメキシコにこの昔の風習が残っているかどうかをしらべるために何度もこの地に実際に幻覚きのこを食べ神事を執行する場面を観察した。このことについては彼が夫人の協力で集めた色々な資料とともに膨大な2冊の書物となった、我国にも2部があるが稀覯書である。また神事の観察記事はタイムス誌に発表されたために全世界にこのことが報道された。また巫女の祈りの声がレコードに録音されて発売され、一般向きの書物も現れた。次の仕事はこのきのこの分類学的研究であるが、彼は世界中のきのこ学者のうちで一番目をつけたのがパリの自然科学博物館長のロジェーム博士(註3)であった。そこで2人は更にメキシコの現地に赴き附近の山野で幻覚を起こすとされていた多くのきのこを採集し、そのメたねモをパリに持帰り大型コルベンに純粋培養を行った。この成果も立派な論文として出版された。次にこれをスイスの著名な生化学者ホフマン博士(註4)に渡し、苦心研究の結果プシロチンとプシロチビンという2種の幻覚成分を抽出することに成功した。

 これで一応の仕事は完結したのであるが、ワッソンとロジェーム氏は更にこれを発展させるためにニューギニヤ高地ゴロカ附近で土人がきのこを食べて幻覚を起こす習慣のあることを知り、ここにも訪れて、関係のありそうなきのこの研究を進めた。

 またその頃、ワッソン氏は日本にも似たシャーマニズムがあるかも知れぬと思ったのか、民族学に関心を抱いていた私のところにも訪れた。横浜で代々貿易商を営み、タトル商会を経営して居たブルムさんと同道であった。その際、彼はホフマンが抽出した上記の幻覚物質の小量を私に下さった。これは貴重な資料である。またワッソン曰く、自分は今、帝国ホテルに滞在しているが、これからホテルでこれを飲んで幻覚の実験をして見ようではないか、場合によっては然るべき医者を立合わせてもよいとのことであった。これにはさすがの私も驚いた。まだ命がおしい時であったので、心臓が少々具合が悪いのでとか云って、こと無きを得た次第である。

 それまでの研究によって多くの種類の幻覚性きのこが明らかにされた。しかし大部分はシビレタケ属(プシロサイベ)のものである。我国にも数種が知られているが、幸い稀な種類であるから悪用せぬ限り被害はないであろう。

註3)ロジェ・エイム(Dr.Roger Heim) 1900年生まれ。フランスの菌類学者。小林との関係は1953年(昭和28年)のエイムの来日に始まる。自然保護運動家でもあり、パリ南方のフォンテインブローの森の道路貫通計画を親友のドゴール大統領にかけあうことで中止させたという。1979年没。

註4)アルバート・ホッフマン(Dr.Albert Hofmann)
1906年生まれ。チューリッヒ大学卒。LSDの発見者。スイスの代表的な製薬会社であるサンド・A・G社の技師であり、化学者。詳しくは、54〜57ページ(LSD50周年)参照。

●監修・資料提供/日本菌学会会員・内田正宏(きのこ研究家)